欠けた月が満月に戻る。
地に横たわる左近は、もうこの世の人ではない。
涙を拭いて、綾女は左近に唇を重ねた。まだ少し温かい。その温もりを失いたくなくて、綾女は何度も繰り返したが、左近はやはり動かなかった。
「左近」
冷たくなった左近の頬に、綾女は自分の頬を寄せ、愛おしそうに付けた。左近の太刀を取り、山を降りる。もう振り向かなかった。
死ぬ覚悟でいたため、身の回りの物はほぼない。綾女は身ひとつでさすらう。同志もいない。忍びの里は壊滅。それでも生きていかなければならない。
野宿をしていると、時折左近の声が聞こえる気がした。
「綾女」
今夜ははっきりと聞こえる。左近の太刀が光る。左近の魂が太刀を依り代にして語りかけてくる。綾女は太刀を抱きしめた。
「左近」
「綾女、戻ってほしい」
「どこへ?」
「安土、俺のところに戻ってほしい」
ふっつりと何も聞こえなくなり、太刀の光もなくなった。
左近と別れてから3日。左近の声を借りた妖魔の誘いかもしれない。
「確かめよう」
翌日には安土に着いた。左近のもとに走る。
「左近」
別れた時の姿のまま、左近は横たわっている。綾女は膝をついて、太刀を左近の横に置いた。
「左近、私を呼んだか?」
綾女は優しい声で左近の頬に触れた。温かい気がして、綾女は両手で左近の顔をつつみこんだ。
「あた…たかい?」
しかし呼吸はしていない。綾女は何度も繰り返し左近に唇を重ね、息を送った。かすかな望みを抱いて。
やがて日が暮れた。懸命に息を送り続けた綾女は疲れ果てて左近の横に倒れた。太刀と左近の体を抱きしめ、綾女は気を失った。
気づくとまだ辺りは暗い。どのくらい倒れていたのか、綾女はふらふらする頭を押さえながら体を起こした。太刀と左近は横たわっているままだ。綾女は左近の頬に触れた。はっきりと体温が感じられる。そして呼吸もしていた。
「左近」
綾女の呼びかけに、左近の手が動いた。綾女が手を重ねると、ゆっくり握った。綾女は嬉しくて左近に抱きついた。
「あや、め…」
待ち望んだ左近の声。
「左近、戻ったぞ」
左近の目が開き、綾女を見た。握ったままの手に力が入る。
「会えたな」
「うん」
左近は体を起こそうとして顔をしかめた。大量出血に火傷もあり、満身創痍の体だ。
「そんな体で」
綾女が抱き起こした。服の破れや出血の汚れはあるが、傷は癒えている。額にあった三日月の形の傷も、瘢痕のみ留めている。
「何故…そんなに長い間私は倒れていたのか」
左近は太刀を杖がわりにしてゆっくり立ち上がった。綾女が寄り添い、左近を支えた。
「雨風しのげる場所で、少し休もう」
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