空き家に入る。住人は安土が燃える前に逃げたのだろう。衣類が少し残っていた。
「お借りする」
着ていた服を洗って干し、借りた衣類を着た。綾女は服の破れを繕った。縫い物をしている綾女を、左近は見つめていた。
「なかなか器用だな」
「針なんて、久しぶりに持った」
きれいにほつれをかがっていく。破れが大きいところは、少しつれてしまったが、わりときれいに仕上がった。
左近の顔色はだいぶよくなり、綾女は安心した。落ち着くと、左近に抱きついたり何度も繰り返し唇を重ねたことを思い出し、急に恥ずかしくなった。
「長い長い夢を見ていた」
左近は話しはじめた。
死んでいく。満月に戻りつつある月を見ながら、左近は静かに悟った。とうとう綾女に想いを伝えられなかった。あの時に唇を奪い、頬を叩かれ、それでも想いは溢れる。身を盾にして綾女を守り、そうして綾女の心に傷を残す。何とも不器用だ。
体が冷えていき、魂が離れる寸前に頬に温かい手が触れ、柔らかな唇が何度も重ねられた。綾女の気持ちが染み渡る。綾女も左近への想いを伝えられなかった。まだ生きたい、綾女と生きたい。太刀を依り代にして、左近は綾女に懸命に訴えた。
息絶える直前に与えられた、綾女の温もり。少しだけ左近の命を引き延ばしていたが、長くはない。再度与えられなければ、逝くだけだ。
綾女は戻ってくれた。そして命を繋いでくれた。自分が倒れるまで自らの命を左近に与えてくれた。
綾女は、左近にとってかけがえのない存在だった。初めて恋する気持ちを知り、命をかけるほど愛している。綾女の愛も欲しいと強く願った。綾女への想いが募るほど体力は回復し、傷も早々に治癒するほどだった。
再び綾女と話し、触れあって、左近は綾女と生きたいと強く願う。
「よかった」
綾女は涙を流した。一瞬でも左近への口づけが遅ければ、もう引き止めることはできなかった。また、安土から離れる前に左近のもとに戻れて、命をつなげられた。
「さだめ、だな」
「さだめ」
左近の指が、綾女の涙を拭う。そのまま顎にかけられ、唇を重ねた。
「叩かないのか?」
綾女は恥ずかしげに笑った。
「叩かない」
左近は綾女の髪を撫でた。髪留めをほどくと、本来の綾女が現れた。少女と女性のはざまで揺れる綾女。危ういほど美しい。髪を下ろすだけでこんなにも違うのかと、左近は見つめていた。
「なに?」
あまりにも左近が見つめているので、綾女は気恥ずかしかった。
「いや、なんでもない」
綾女の声に我に返って、左近はいくらか頬を赤くしていた。あまりにも美しくて神々しさまで覚える。手を出すには恐れ多い気もする。大事に大事にそばで守りたいという気持ちが勝っていた。
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