夜もまだ明けやらぬ時。
音を忍ばせているが、確実に桔梗の紋は門外に迫ってきていた。
中国攻めへの援軍に向かったはずの明智光秀である。
優秀であった彼だが、その手腕は平穏な世で発揮されるべきものであり、信長の世では初めこそ重宝されたものの、今となっては…。
光秀は唇をかみしめた。
そして軍扇を本能寺に向けた。
「何事だ」
身を起こした信長が声を出すと同時に、障子の外で蘭丸がかしこまった。
「門外に多数の兵が見えます。水色の桔梗の紋。明智光秀の謀反でございます」
信長は口の端をわずかに歪め、笑いを浮かべた。
「是非に及ばず。蘭丸、弓を持て」
蘭丸は顔を上げた。
「上様、奥の院から南蛮寺への道が通じております。ここは私どもが引き受けますゆえ、どうぞ、お逃げくださりませ」
信長は黙って弓をとった。
「あやつは俺が仕込んだ。俺はここが死に場所と心得た」
「なれば、お伴つかまつります」
歩き出した信長に蘭丸はついて行った。
すでに庭では武装した兵と信長の側近が血まみれになっている。文字通り、多勢に無勢。
「蘭丸。信忠は動いておらぬな」
「はっ」
「矢を持て」
火が放たれた本堂に佇み、弓を構えた信長は次々と矢で射ていく。やがてその矢も尽きると、弓を投げ出し、槍で突き刺していく。
それでも光秀軍の数は多かった。信長の側近はほぼ討ち死にし、そこにいるのは蘭丸だけ。
蘭丸は太腿をばっさり斬られており、動くこともままならないが、信長に槍を突き出した堀江安兵衛に向かって最後の槍を突き刺した。悶絶した堀江は蘭丸を刺殺した。
信長も脇腹に傷を負っていた。矢が尽き、刀や槍も折れ、後ろを振り返らずに奥座敷へ向かう。あとを追う兵に鋭い眼光を浴びせ、障子を閉めた。
「何をしている、首をとらぬか…」
その瞬間、爆音とともに本能寺が一気に炎上した。
朝日が焼け跡を照らし出す。
真っ黒に焦げた伽藍や遺体の数々、その中でどう探しても信長の遺体だけが見つからなかった。南蛮寺へと作られたはずの道は土砂や焼け落ちたもので埋められてしまい、その中にも見当たらなかった。また、道は途中までしか作られていなかった。
信長は信忠を後継者としたのちに今回の京都入りでは多数の軍勢をつけていた。後を継げるよう整えていたのだが、信忠は自刃してしまう。
光秀は本能寺の変の10日後、土民に殺害された。供まわりは少なかった。
そして安土城もまた炎に包まれ、信長の世は夢幻のごとく消え去っていった。
歴史上有名な本能寺の変から428年。今もその全貌は謎の部分が多いとされています。
私も文献を読み、現地にも行き、自分なりに解釈をしていますがまだまだ浅いです。
信長という人物は本当に不思議で、厳しさや残忍さがよく表に出がちですが、本来は心優しい人物なんじゃないでしょうか。そうでなければ、いくら実力主義といえど、あの求人力は得難いと思います。自分の手の内をすべてさらすのは上に立つ者のすべきことではありません。考えを読まれないように、カモフラージュしていたんでしょうね。そう、本能寺での最期も、ずっとカモフラージュされています。おそらくは爆死だったんじゃないでしょうか…?だからすべて吹き飛んで遺体が見つからないのでは?
光秀は非常に優秀ではあるんですが、どうもそれを活かしきれていなかった気がします。本能寺の変ではよく怨恨説が謳われていますが、私自身としては陰に黒幕がいたのでは、と憶測しています。どちらにせよ、変後は自らの兵力をあちこちに分散しています。自分のやってきたことは一体何だったのだろうと葛藤する声が聞こえてきそうです。でも最後は、解放された気持ちになったのかもしれません。それにしても寂しすぎる最期です。
歴史では「もしも」と思うことがたくさんあります。もし、信忠が後を継いで生き延びていたらどのような世になっていたのでしょうね。そもそも初代と比較すると二代目三代目は少々出来が悪いというのが世の常。信忠個人でみるとけして出来は悪くなく、手柄も立てています。しかし信長という父親と比較すると平々凡々に見えてしまうんですね。でも信雄のようにおとなしくはなかったと思います。信長に意見することもあったようですから。
蘭丸。弟二人とともに本能寺でその短い命を散らしました。頭が切れて二手先三手先を読むのは当たり前、美形・・だったかもしれません。18歳だったので、恋もしたかもしれません。もともと私が歴史に興味を持ったのは、蘭丸からでした。
6月2日。紅梅なりの本能寺を描いてみました。
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本能寺、墜つ・・
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