長いような短いような沈黙を終わらせたのは、左近だった。
「綾女はずっと、戦いの中を生きてきました。やっと一人の女として生きられるようになったのなら、俺がいては差し障りになります。綾女を、よろしくお願いします」
左近は橘に頭を下げた。
綾女に記憶がないのなら、そのままのほうがいい。幸せになってほしい。
左近は苦しかった。
やっと会えた、生涯をともにしようと誓った女性。しかしすでに人の妻になっていた。時の残酷さを左近はひしひしと感じていた。
橘も苦しかった。
うわごとにまで呼び続けている男に、何度嫉妬したか。その男が今ここにいて、頭を下げ、綾女を託そうとしている。
「きっと、誓って綾女を幸せにいたします」
橘もそう答えるしかなかった。
翌朝早く、左近は発った。
綾女への想いを心の一番深いところにしまいこみ、朝霧の中に姿を溶かしていった。
綾女は橘とともに見送っていた。
「お早いお発ちでしたのね」
ふと、綾女の瞳に涙が浮かび、こぼれ落ちる。
「どうした?」
「わかりません。けれど・・・」
涙が溢れて止まらなかった。胸が痛くなるくらいの寂しさを感じていた。
左近の姿が完全に消え、綾女は涙を拭いた。
「もう大丈夫です。それに」
自分の下腹部に手をやった。
「この子のためにも、泣いてはいられませんもの」
橘は黙って綾女の肩を抱き、もう一度左近が立ち去ったほうを見やった。
- あの時代
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綾女を心底愛するがゆえに身をひく左近… 究極の愛ですね! 綾女のために命を捨てても守り抜いた左近がもし生きていたら、このように愛を貫いたかもしれませんわ。
二人が別の人生を歩むのは寂しいけど、でも綾女の未来に光は差してるところがほっこりしました。。
左近の綾女への、純粋で求めない愛、深いですね。。。
こんばんは。
左近は綾女とともに人生を歩みたかったけれど、綾女には一人の女性として生きて欲しかった。こういう愛し方もあるんですよね。
綾女は左近のことを心のどこかで覚えていたんじゃないかしら。でもはっきりとは思い出せず、目の前にある道を歩き始めたんですね。
綾女の幸せを願う左近がかわいそうだけど、こういうエピソードもあっておかしくないあたりが、妖刀伝ですよね。