懐かしい髪の香りがした。
左近はふと振り返る。
そこには誰もおらず、穏やかな風が一陣吹き抜けていっただけ。
「まさか、な」
懐にある小太刀。その持ち主は、いない。
髪の香り。それは綾女自身の匂いでもあった。
左近の手に、指に緩く巻きつく。肌を重ねれば重ねるほど、綾女は色づき、芳香を放った。
「左近」
囁く甘い声。あの瞳も、肌の熱さも、何もかもすべて、今この手を離れたかのようにありありと蘇る。
あの安土での戦いの時、綾女は崩落に巻き込まれた。戦いが終わってから探したが、とうとう見つけることはできなかった。ただ小太刀だけが半分埋もれていただけだった。
悪い予感が胸をよぎる。だが左近は断じて認めようとしなかった。
あれから1年たとうとしている。
季節は初夏。左近は眩しげに木漏れ日を見上げた。
- あの時代
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