「俺は左近。お前は綾之介と名乗ったが、香澄にはそのような名の者はいない」
綾女は左近を見つめた。左近はふっと口元を緩める。
「香澄は先日滅亡した。行方がわからぬ者一人を除いて、みな死んでいる」
左近は綾女に歩み寄った。いきなり抱き上げ、布団に下ろす。綾女は驚きのあまり声も出ない。ゆっくりと左近が上にのしかかった。
「行方がわからぬ者は、里長の妹。お前だろう?綾女」
「私は・・・綾之介・・」
左近の目を見て綾女は体が震えた。先ほどと同じ感情のない目。
「男のなりをしても、俺にはわかる。綾女。俺の妻だ」
「えっ」
この男が里長の左近。綾女は左近を見つめた。左近の体がゆっくりと離れた。
「しばらくくつろぐといい」
綾女に与えられた部屋は、それなりに女性らしいしつらえだった。
「守るべき里がない・・。みんな、みんな死んでしまった」
こらえようとしても、涙が溢れてくる。兄から託された御神刀を胸に抱き、これだけが香澄の証として残ったのだと眺めた。
守る者がいなくなっても、香澄を潰した者を探し当て、仇をとらねばならない。
ここで里長の妻になるわけにはいかない。
決断した綾女は、翌朝左近に会った。
「そうか。それで、相手は見当がついているのか」
「思い当たることはいくつかある。これから探りを入れていく」
「敵は外だけではないぞ」
「わかっている」
綾女もひとつの可能性に気づいていた。だがそれは一番認めたくないものだった。
「綾女」
間近で名を呼ばれ、綾女が顔を上げると左近の優しげな瞳が見つめていた。そのような表情に綾女が驚いていると、左近は唇を重ねた。
「な、ななな」
初めてのことに綾女が平手を食らわせようとするが、その手を左近は止めた。
「何を驚いている。夫が妻にしていることだ」
「私は、まだ」
「この話は決まっていたことだ。ここに俺とお前がいる以上、覆す理由もないと思うが」
綾女は両手で左近を突き飛ばし、部屋から出た。
- あの時代
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