満月が近づくにつれ、左近は体の違和感が強くなった。
昂るのだ。
綾女の顔がしきりに思い出され、蓬莱洞で交わした唇の柔らかさもありありと思い浮かべてしまう。
「何もしていないからだな。気を紛らわせなければ」
鍛錬をしたり、薪割りをして左近は過ごした。そんな左近をエリスは悲しげに見つめていた。
「安土に、西洋の悪魔が棲むという話を聞いたことがありますか」
話があるとエリスに言われたのは、満月の夕方だった。
「ああ、聞いたことがある。今更驚きもしないが」
「私なのです。私は、血を吸って命を長らえる、吸血鬼」
左近は黙ってエリスを見つめていた。
「うすうす察しはついていた。吸血鬼でなくても、この世のものではないのだと」
左近が自分の腹部を触る。
「俺は、確かに死んだ。今までの経験で、どうなれば人が死ぬかはわかっていた。だが、こうして生きている。俺も、この世のものではないのかもしれないな」
口元に薄い笑いが浮かぶ。
「いいえ」
エリスの予想外の強い口調。
「いいえ、私はあなたを人として生かしたかった。・・・本来吸血鬼は自分のために人の血を吸います。吸われた人は同じく吸血鬼になる。けれど私は逆のことをしました。私の血を、あなたに与えたのです」
エリスの血の気のない透き通るような肌を、左近は見ていた。
「俺は、どうなるんだ」
「吸血鬼の血は、細胞を活性化させるだけのもの。他に害はありません。ただ、男性に与えてしまうと・・その・・満月の夜に特に最高潮になるのです・・・」
「そうか、それが原因か・・。で、エリスは?」
エリスは顔を上げて微笑んだ。
「掟を破った吸血鬼は、次の満月の夜に制裁されます。だから、月が昇るとともに私は多分消えると思います」
「どうして、そこまで俺に・・」
「私はもうひとつ掟を破ったからです。人を、好きになってしまった。自然の理に反して甦らせてしまった・・」
エリスの緑の瞳から大粒の涙がこぼれた。左近の指が優しくぬぐう。
「泣くことなんて、とうの昔に忘れていました。ずっと生き続けて、もう自分がいつ生まれたかなんて思い出せないくらい」
左近はそっとエリスの肩を抱いた。エリスは素直に体を左近に預け、東の空を見やった。
反対の西の空には、残照と宵の明星が光っている。
「ひとつ、約束してくださいね。あなたはただひとりの女性を生涯愛し続けてください。その女性は、もうこの近くに来ているはずです。それと、私が消えたら、ここの結界はすべて解けます。ああ、もうすぐ昇ってきます」
山の端がひときわ明るくなり、月が昇りはじめた。
「エリス・・」
エリスは笑顔を左近に向け、次第にその姿を薄くし、消えた。
「ありがとう、エリス」
- 時を超えた絆
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