綾女が戻ると蘭丸とすれ違った。
あれほど自分たちを苦しめた張本人。だが当の蘭丸はすっかり忘れたように屈託なく話しかけてきた。
「綾女」
綾女は返事をせず、立ち止まった。
「俺を避けているようだが、俺が何かしたか?」
綾女の脳裏に戦いのことが思い浮かぶ。
「何かしたかだと?」
自分でも恐ろしいほど低く、ドスの効いた声が出てきた。振り返るや否や蘭丸の胸ぐらをつかんだ。
「お前はなぜここにいるんだっ。お前が仕掛けたくだらない計画のせいで、私は、私たちはどれだけの思いをしてきたのか・・」
泣くまいとしても綾女から涙があふれ出てきた。呆然と綾女を見ていた蘭丸は綾女の手の力が緩むと、そっと綾女の肩を抱いた。
「済まなかった・・と詫びるしかないんだろうな。俺は小姓として上様に仕え、時には意に染まぬこともしてきた。せめて俺だけでも上様の心中を伺いたかったのだ。織田家家臣ばかりか、お前たちをも苦しめてしまったのだな」
綾女の涙が半分乾いた。
言っていることの次元はまるで違う。けれどとぼけている様子はなく、済まないと思って詫びている蘭丸。
「何をしたのか、覚えていないのか?」
綾女は怪訝な顔で蘭丸に詰め寄った。済まなそうに首をすくめる蘭丸。
綾女は妖魔の蘭丸がしてきたことを次々と話した。どんどん蘭丸の顔は蒼白になり、最後には柱にもたれかかるほどだった。
「そんなことを・・俺はしてきたのか・・」
蘭丸のあまりの様子に綾女は心配になった。蘭丸は柱にもたれ、ペタンと座り込み、うつろな瞳には何も映らず、息も絶え絶えで今にも死にそうな顔色になっていた。
「殺したいと・・思っていただろう。俺は、償わなければならないのに、生き延びてしまったんだな」
蘭丸は綾女に背を向けた。
「蘭丸?」
「お前に仇討ちされるなら本望だ。さ、首をとれ。敵を討ってくれ」
綾女は動けなかった。妖魔の蘭丸ならためらわずに切っ先をその首に当てていた。だが、今ここで首を差し出している蘭丸は、違う蘭丸なのだ。
綾女はきびすを返した。
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