「やっと、思いを遂げられた・・」
左近が呟く。
「左近?」
綾女が怪訝そうに覗き込む。左近の手が綾女の頬を撫でる。優しいまなざし。
「ずっとお前が好きだった。お前となら、添い遂げたいと思っている」
綾女から涙が流れた。このような言葉は初めて聞いた。
「私は・・幸せだな・・」
やっとの思いでその言葉を返した。その涙を左近の指がそっとぬぐう。
「俺と、生きてくれるか?」
綾女はもう涙で声も出ず、頷いた。左近は優しく抱きしめた。
初めて恋をした。
姿こそは男だったが、自分を見るまっすぐな瞳は時に強く、時に儚い。これがただの男だったら捨て置いたが、生き急ぐ少女ははからずも守りたくなった。だが、それをされることを綾女はひどく嫌い、自分の力で切り開くことを強く望んでいた。
ならば、俺はお前を同志として支えていこう・・・。
思えば、この頃から綾女に惹かれ始めていたのかもしれない。
だから、伊賀の里で本名を聞きたくなった。
「本当の名はなんと言う?」
「・・・綾女。・・・香澄の、綾女」
言霊とはよく言ったものだ。その名を聞いたときには恋という病にかかりはじめていた。
「よい名だ。死ぬなよ、綾女」
綾女の顔の稜線を指でなぞる。
男に名を聞かれ、顔をなぞられることは綾女にとっては兄に頭を撫でられるようなものだったに違いない。態度が変わらなかったことに少し虚しさも感じた。
「私は女を捨てた」
鳳来洞でも綾女は言い切った。あろうことか、たった一人でここまで来た。男として意識されていないことに俺は少なからず傷ついた。だから運命だのなんだの言う綾女に腹が立った。
そんなもので縛られるな。目を覚ませ。
綾女の柔らかい唇が戸惑いながらも俺を受け入れる。綾女の体の震えがわかる。
頬の痛みとともに俺は綾女から離れた。綾女の顔が泣きそうになっている。
「な、何を・・」
次の瞬間、綾女は俺を睨み、血迷ったかと叫んだ・・・。
そうか。
俺は安土に向かう直前、髪を切った。色々な迷いごとを断ち切るため。そして、綾女にはなんとしても生きて欲しい、そのためには俺は・・。
そして俺は綾女を庇い、背中に火傷を負った。さらに命をも捧げようとした。死んでもいいと思った、綾女がそれで女として生きてくれるなら。
最後の泣き顔だけはもうさせたくなかった。
- あの時代
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