左近は洞窟の中に一時身を寄せていた。
あの時、この洞窟に半年もこもって一心に迷いを捨てようとした。それでも捨てられなかった迷い。
少女を腕に抱きしめた時、左近は気づく。
自分の気持ちに素直になればいい。その少女に対する恋慕を認めればいい、ということに。
だがどんなに抱きしめても、耳元で名を呼んでも、少女は目を開けることはなかった。
気持ちが高揚したところで、急に断ち切られた想い。
左近は忘れることはできなかった。
意識の奥深くに納めていても、時々は口に出して呼んでしまう。
綾女、と。
暖を取るために、焚き火に枝をくべたとたん、左近はあやかしの気配を感じた。太刀に手が伸び、構える。炎が揺らめき、その向こうに小柄な人物が立っていた。外套を深くかぶり、顔は見えない。少年のように見える。
「ここで何をしている」
凛とした声が洞窟に響く。聞き覚えがある、懐かしい声。左近はその人物を凝視した。
「ここはこのあたりのクマが冬ごもりに入る場所だ。危ないから他のところに行ったほうがいい。忠告はしたぞ」
そのまま立ち去ろうとする人物を、左近は呼び止めた。
振り返る人物の頭巾を外す。
「いきなり、なにを・・!」
艶やかな黒髪。その顔はまさしく綾女だった。あの時よりもさらにきれいになり、男装の美女といっても過言ではなかった。
「綾・・」
左近の喉もとに妖刀の切っ先が突きつけられる。
「お前は誰だ。みだりに近寄るな」
綾女の目には、左近はただの男としか映っていなかった。
- あの時代
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