綾女は再度鳳来洞を訪れていた。外はすっかり春の宵だったが、中は険悪な雰囲気の二人がいた。
きっかけは左近が放った一言。
「条件がある」
綾女は戦慄した。
「何を言う。お前は来なくてはならないんだ。条件など」
左近はじっと綾女を見据えた。その視線に感情はなく、綾女は背筋が寒くなった。
「一応、聞いてやる」
「今宵、ともに」
その意味は、綾女にもわかった。
「何を・・」
綾女は笑い飛ばそうとした。
「何を戯言を言っておるのだ」
「嫌か。ならばよいのだぞ」
綾女はきっと左近を睨んだ。左近は変わらず、無表情である。
「卑怯・・ではないか」
「卑怯か?」
「なぜ。なぜ私を」
左近はすっと立ち上がり、綾女のそばに来た。綾女は後ずさる。綾女の瞳には怯えしかなかった。
「なぜ?ふ、なぜかな」
左近の顔に表情がわずかに戻るが、綾女の怯えは消えない。それは女としての怯えだった。左近は無表情のまま、綾女の細い腰を抱き寄せた。
「離せ、左近・・」
綾女の手が左近の胸を思い切り突き飛ばそうとする。
「ここでお前を離してもいいのか」
左近の顔がすぐ近くまで迫ってきている。切なげな表情を、綾女は初めて見た。
「必ず、必ず来るのであろうな」
綾女は掠れた声で聞いた。
「約束しよう」
左近の唇が綾女の声を奪っていった。
- あの時代
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