「綾女、ここにいたのか」
左近が湯の中に入ってきた。綾女は身を起こし、左近から逃げるように湯から上がろうとした。
「待て」
綾女の手首を左近がつかんだ。
「離せ、左近」
綾女は抵抗したが、左近に抱き寄せられた。綾女は顔を背けたままだった。
「綾女?」
左近の指が綾女の顎にかかり、目が合う。綾女の目が赤いのを見て左近は
「泣いていたのか」
と聞いた。
「そんなことはない。離せ」
頑なな態度に左近は綾女から手を離した。綾女は身を翻し、湯から出ていった。
綾女の態度がおかしい、とやっと左近は気づいた。だが何が原因で自分を避けているのかがわからなかった。
いつものように綾女を抱こうとしたが、綾女に背中を向けられてしまった。
左近はため息をついた。
「俺に何か不満があるなら、言ってくれ」
「・・・・別に、ない」
「嘘だろう。何もないならこの頃の態度はどういうことなんだ」
綾女はゆっくり起き上がり、左近を見た。
「左近は私ではなく、他に誰か心にかけた人がいるんだろう。いつもその人を私を通して見ている」
左近は胸の奥がズキリ、と痛んだ。
- HIT記念
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