さよならだけ言えないから
君の影の中に今
涙が落ちていく
冷たくなる指、髪、声
ふたり暮らしてきた香りさえが消えてゆく
彼女が出て行った。
「あなたが何を考えているのかわからない」
そう言い残して。
俺はしばらく断っていたタバコに手を伸ばした。
火をつけ、肺の奥まで煙を吸い込もうとした。だが先にむせてしまい、やりきれない気持ちでタバコを灰皿に押し付けた。
俺の気持ちを代弁するかのように、大粒の雨が降り出した。
彼女とは、本当に長い付き合いになる。
初めて会ったのは、430年ほど前。
あの時、肉体を持った最期に伝えた想い。その想いは変わらないはずだった。
永い眠りを経て再び合間見えたときの嬉しさ。彼女も俺と同じように記憶を持っていた。
自然、身も心も結ばれた。
少なくとも俺はそう思っていた。
何も言わなくても通じ合えると、当然のように疑わなかった。
ましてや肌を重ねるごとに花開く彼女を、俺は新鮮な気持ちで見つめ続けていた。
そう、つい先ほどまで。
「ねぇ」
意識を飛ばしていた彼女が真剣な顔で俺を見つめた。
「ん?」
彼女の汗ばんだ額についた前髪を、指でそっと弄りながら答えた。
「あなたにとって、私って一体なんなのかしら」
「どうしてそんなことを聞くんだ」
「だってあなた何も言わないし、不安になるのよ」
「言わなくてもわかるだろう?」
俺は彼女の首筋に新たに刻印をつけた。すっと彼女の顔が冷たくなる。
「それなのよ」
俺の腕をどけて、彼女は起き上がった。白い肌が夕陽にうっすらと染まっている。彼女はさっさと服を着始め、髪を結い上げた。
「どうした?」
「出て行くわ。私、あなたのことがわからない」
財布だけもって彼女は俺の前から姿を消した。
そういえば最近彼女の表情が暗かったことを思い出した。
彼女なりに俺という人間を把握しかねていたんだろう。
俺も・・。
「甘えていたのかもしれんな」
呟きが漏れた。
ブラインドから色合いが薄くなった夕陽が射しこんだ。
いつの間にか夕立は止んでいた。
彼女は携帯を置いていったが、行き先はだいたい見当がついている。
「迎えに行くか」
彼女に会ったら謝ろう。そう思い、俺は家を出た。
まだ小降りの雨のなかを俺は走り出した。
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