綾女が春に鳳来洞に訪れ、二人の気持ちを確かめあったあと、安土に行くと約束をした。だが左近はなかなか行こうとしなかった。
妖刀がまだくすんでいる。このままでは信長を倒すことはできない。
気持ちの焦りが、左近の足を鈍らせていた。
京都の本能寺で信長が討たれたという噂が流れてきた。
「嘘だ。信長は影武者を使ったに違いない」
もうここにいるわけにもいかなかった。安土に行かねば。ふとずいぶん長く伸びた髪を見た。今までの自分を断ち切るように、左近は髪を切った。
鎖帷子を着込むと相当な重さになったが、着ないわけにはいかなかった。
この帷子を脱ぐ時は、どう時勢は変わっているのだろうな・・
太刀を背中に背負い、左近は安土へ向かった。
安土に着いた頃、すでに夜更けになっていた。綾女の気配が仁王門からしてきている。劣勢にたたされているようだ。左近は喜平次の矛を太刀で受け止めた。
「左近!」
綾女の声がした。左近は綾女を見ず、喜平次だけを睨みつけた。
「ここは俺に任せろ。行け」
もう少しで綾女にとどめをさせるところだった喜平次は邪魔に入った左近に苛立った。
「お前の相手は、俺だ」
そう言う左近の太刀は、まだ覚醒していないようであった。
「ふ、お前はまだ妖刀の力を出せていないようだな。その刀、くすんでおるわ」
左近は痛いところを突かれ、眉間にしわを寄せた。
「そこを、どけ、どかぬかぁ!」
感情に走った結果か、喜平次は冷静に的確に左近の腹に槍を突き刺した。左近は血を吐きながら倒れる。
「綾女・・」
愛おしい綾女の顔が浮かぶ。会いたい・・!
その想いが妖刀を覚醒させた。喜平次がとどめを刺そうとしたところ妖刀の光が飲み込み、喜平次は断末魔の悲鳴をあげながら消えていった。そのまま光は、黒の魔神と戦っている綾女に降り注がれる。龍馬の矛からも光が伸び、ここで魔神は消えた。
仁王門で左近は出血に耐えていた。動くこともままならないが、綾女の元へ行きたい。ふらつく足で数歩進んでは倒れこみ、遠くなる意識をしっかり捕まえながらやっとそばに行った。
「戯言を、戯言を言うなー!」
綾女の叫びが聞こえる。
妖刀の光が蘭丸に向けられるが、蘭丸は薄く笑いを浮かべたままだった。
「愚かな、影。成仏せい!」
蘭丸が刀を抜き、綾女に切りかかる。左近の太刀がそれを止めた。
「まだいたのか」
左近は満身創痍であった。腹から出血もしている。
「お前の相手は俺がする」
「この死にぞこないが」
蘭丸は左近と太刀を交えるが左近のほうが数段上だった。石垣の上に逃げ、左近を見下ろす。左近は血でむせ、地面に手をついて肩で息をした。
「左近!」
綾女が駆け寄る。蘭丸は冷ややかにそれを見つめていた。
「何をしてももう遅い。500有余年の冥府魔道が開かれる。もう何者にもそれを止めることはできない」
勝ち誇った笑いを浮かべる蘭丸に、龍馬の矛が突き刺さった。
「同じことをすれば閉まるじゃろうが。左近、綾之介、俺ごとこやつをやれぃ!」
「龍馬殿!」
龍馬の体が飛び、下の二人から妖刀の光が龍馬を覆った。
左近は立ち上がろうとしたが、すでに手足の感覚はなく地面に横たわっていた。かすみがちになる目で綾女の姿を探す。綾女は左近の名を呼び、近くに寄った。愛おしい綾女の顔が見える。
「やったな・・綾女」
「左近・・」
綾女の顔が悲しげにゆがむが、懸命に泣くまいとしていた。
綾女、そんな顔をするな。笑ってくれ・・。
左近の瞳が優しく綾女を見つめている。
「左近、私・・」
綾女は左近の手を自分の下腹部に当てた。
左近は綾女を見つめた。あの折の・・?
「あなたの・・子が」
ああ、と左近は思った。綾女は自分の命を継いでくれた・・。
「綾女・・すまぬな・・」
見ることはかなわぬわが子の顔。父親になり損ねてしまったようだ。
左近の意識が遠のく。綾女の背後にきれいな満月が浮かんでおり、それが最期に見た景色だった。
左近は遠くから綾女を見つめていた。無事に男子を産み、懸命に育てている姿。綾女の口から左近を語ることはなかったが、心のうちでは左近のことを想っていた。時々、左近を想って枕を濡らす姿もあった。左近はそのすべてを見守っており、そばにいて抱きしめたいと何度願ったか・・。
数年たち、綾女の夢の中に左近は現れる。あの頃と同じように微笑みあい、言葉を交わせるようになった。同時にそれは、綾女がだんだん左近のいる世界に近づいてきている証だった。
自分と見まがうような伊織。綾女が伊織を連れてきた。すでに背丈は綾女を抜いていたが、まだまだ少年である。綾女はじっと左近を見ているようだった。
綾女、よく来たな・・。
あなたに会いにきました。
会いたかった。
言葉にならない会話。けれど心が触れ合ったような温かみが残った。
ある夜、左近は綾女の夢の中で綾女の言葉を聞いた。
左近、私はじきに参ります・・
翌朝、綾女は伊織に別れを告げた。左近は伊織の後ろにいたが、綾女はその姿を見ているようだった。
後日、伊織によって綾女の亡骸が左近の隣に葬られた。
綾女。
左近。
二人手を取り合う。お互いに体を持たないが、触れることができた。綾女は左近が亡くなったときの姿のまま、左近の胸に飛び込む。左近は強く抱きしめた。その姿を伊織はしっかりと見ていた。
「母上、父上に会えたんですね・・」
伊織の声が静かに響いた。納得したような落ち着いた声だった。その言葉に左近と綾女は救われ、伊織に微笑みかけた。
伊織、遠くで見守っているぞ・・・
その言葉を、山を降りる伊織に向けていた。
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