左近は綾女の部屋を聞いたものの、そこを訪れることはなかった。
いつもならすぐに一夜をともにしてしまうのだが、探していた女性にめぐり会えた今、嬉しさが先にたっていた。
「綾女、君はあの時のことを覚えているだろうか・・」
薬指の指輪を外す。
そこには、”Ayame&Sakon”と彫られている。
蘭丸が言った願掛けだった。
高校生の頃、ふと蘇った不思議な記憶。何度も見た夢。
新緑の安土山。
大手道から山を見ると、入り口に安土城址という碑がある。その近くにふたつ並んだ小さな石柱。そこはこの世界とそちらの世界との境界。
左近は一歩進む。風景は変わらないが、懐かしい雰囲気でいっぱいになった。
自分はここに生きていた。
ゆっくりと目を閉じる。
何があるわけでもない。でもそう思わせる何かを左近は自覚している。
そう、自分には将来を誓おうと思った女性がいた・・・。
誰だったのだろう。
黒い髪が印象的だった。
左近は目を開けた。
「綾女」
言葉が口をついて出た。なんという甘い響きだろう。彼女の名だ・・。
カラン・・
グラスの中で氷が揺れ、その音で左近は我に返った。
少し眠っていたようだった。時刻はすでに明け方になっていた。
- 現代版
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