軽やかで繊細な音が響く。
いつものように佳代の店に行った綾女は、BGMとして流れる音に聞き入った。
「これ、いい曲ね」
「リストの愛の夢よ」
カップにコーヒーを注ぎながら佳代が答えた。ちょっと恥ずかしそうだ。
「佳代が弾いているんじゃ」
龍馬がエプロンをつけながら自慢げに言う。
「佳代さんが弾いているの?わぁ、すごくきれいな音ね。いいなぁ、私もピアノ弾いてみたいな」
「よかったら教えましょうか」
佳代が身を乗り出す。
喫茶店の裏の自宅は広く、リビングにグランドピアノが置かれている。
実際に佳代が弾いてみせると綾女は陶酔してしまった。
「いいなぁいいなぁ、でも私は音符が読めないの」
「大丈夫よ、私もそうだったのよ。じゃあここからいきましょうか」
3時間みっちり仕込まれ、綾女は右手だけ何とか弾けるようになった。
「ねぇ左近、私、佳代さんからピアノを習うようになったの。全然音符が読めなかったんだけど、今日だけで何とかわかるようになったのよ」
キラキラした瞳で綾女は左近に報告をした。
「そうか、じゃあ自宅レッスンできるようにしないとな」
「え、ピアノ買うの?どこに置くのよ」
「ほら、あそこ」
「は?」
左近が指差したところには、すでにアップライトピアノが置いてあった。
言葉が出ない綾女。
「昨日、床の補強工事が終わったんだよ。で、今日納品。いや~、蘭丸を通して買ったから安かったけど、あとあとお返しが大変かもな」
「何で買ったの。いくらしたのよ!」
「ふたつ合わせてン千万だな。それが1割で買えたんだぜ。楽器って値段があってないようなものだっていうけれど、本当だな」
「ふたつ?ピアノとあとは何」
「バイオリン」
「バイオリン?誰が使うの」
「俺」
「使えるの?」
「俺はピアノもバイオリンも弾けるんだよ。知らなかったっけ」
「知らないよ、そんな話。だって1回もそんな場面見たことないもん」
「だろうな。蘭丸のところでやっていたから。ずっと借りていたんだけど、いいのが手に入ったから買ったんだよ」
「いいのって、まさか…」
「そ、ストラドバリウス」
綾女はくらくらとした。ン千万の1割といっても数百万の楽器。どこにそんなお金があったのか、どう考えても思い当たらない。
「印税だよ」
左近がボソッと言った。そういえば、最近また本が売れ始めている。
「あのブームがあった時に、かなり貯金できたんだ。本もそうだけど、映画やドラマの主題歌は俺が作詞作曲したものなんだ。そのころにピアノを習い始めて、佳代や蘭丸に編曲してもらったんだよ」
「蘭丸も、音楽をやっているの?」
「奴は何でもできる。ひとりオーケストラもできそうだ」
「そうなのね…。ああ、びっくりした。じゃあ、何か弾いてみて。ピアノとバイオリンひとつずつ」
左近はなぜか慌てたように時計を見た。
「もう遅いから、今度な。防音工事していないし」
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