重く暗い世界。
自ら開いた冥府魔道に、俺は呑まれた。
妖星に還ることもできず、ただ闇の中をさすらい続けた。
呑まれる直前に見た、あの影忍の顔が忘れられなかった。
「は・・あ」
また同じ夢を見た。俺は倦怠感溢れる体を無理やりベッドから引き剥がし、シャワーを浴びた。
湯上りに鏡に映る自分の顔を見る。昔額にあった赤い光は消え、どこからどう見ても普通の人間だ。怪我を負えば治るまで何日もかかるし、風邪もひく。腹もすく。そして・・人を好きになる。
そんな感情を持つことすら、はじめのうちは驚いたものだ。
影忍が皆現在に生きていることにも驚いた。
綾之介と名乗っていた影忍、綾女。彼女が俺の生き様を変えた。
俺よりひとつ下の彼女は誰から見ても魅力溢れる女性だ。クールな美貌にウェットに富んだ会話には誰もが引き込まれる。俺はあの男に負けないくらい彼女が好きだが、それを出してしまうと、彼女が戸惑う。
「わかりきっていることさ」
自嘲気味に鏡の向こうにいる自分へ呟いた。
「おはようございます」
彼女が出社してきた。いつもそれなりにきりっとした服装だが、今日は緩めのカーゴパンツにパーカー、それにキャップといういでたちだ。髪もひとつに結い上げている。
「今日は何の取材だ?スケボーか?」
ラフな格好でも、綾女には似合ってしまう。
「わかります?今日のために練習していたけど、うまくできるかどうか。あ、桔梗さん、出先から写真送るから」
彼女なら大丈夫だろう。朝から取材とのことで早々に出かけていった。
「綾女さん、かっこいいですね」
桔梗がお茶を持ってきてくれた。桔梗も綾女が大好きでときどき怪しい視線を送っている。
「スケボーなら俺だってできるぞ」
冗談で言ったつもりが、桔梗は真ん丸い目で俺を見て笑い出した。
「編集長、想像できませんよ。あはははは」
「何も笑うことはないだろう?」
桔梗は笑いながら席に戻っていった。まったく失礼な奴だ。上司に対する礼儀を知らん。
昼前になって綾女が戻ってきた。
「戻りましたー。みんな、お弁当買ってきたよ」
独身男性が嬉しそうな声をあげた。俺もそのうちのひとりだ・・と桔梗が突っ込みそうだが。
俺は午後から休みだったため、外に出た。ここのところ締め切りが続いてゆっくりと空気も吸えなかった。
久しぶりにあの男に会いたくなった。
安土山の管理事務所。そこにあいつは勤務している。
「おい」
「なんだ、お前か」
長身の男が事務所から出てきた。左近。綾女の恋人。俺のライバル。
「キャー、いい男がふたりも。一緒に写真とってー」
その場にいたおばちゃん団体の要望にこたえ、握手までさせられて俺は疲れを覚えた。左近はいつものこと、と平然としている。
「おばちゃんは疲れるな」
「毎日のことだ。ところで何の用だ」
「俺は客だぞ。入山料だって払ったんだ、その態度はないだろう」
左近はふっと笑った。
「毎月のあれだろう。お前が来ると思って、いまさっき掃き清めた」
「いつもすまないな」
天主の下の石垣。そこであらかたの命がなくなった。毎月、月命日には俺が線香を供えにきている。
元はといえば、俺が大元だった。この身になり、感情が理解できるようになって、愛し合う者が死に別れる辛さに心から詫びをしたい気持ちになった。
綾女を好きになったことで、人の心情がわかるようになった。
左近は俺の最大の恋のライバルだが、こいつも綾女を好きになったことで人間の幅が広くなったようだ。
「綾女ってすごい奴だな」
俺は石垣を見上げてそう呟いた。
夕暮れが迫る頃、俺は下山した。左近も山の見回りを終えて事務所に戻ってきた。
「綾女とはうまくやっているのか」
「ああ。お前こそどうなんだ。綾女の後輩の桔梗といい雰囲気だって、聞いたぞ」
「あいつは妹みたいなものさ。俺なりにそこそこやっているから、お前は気にするな」
「そうか」
俺はそこで左近に別れを告げた。サイレントモードにしていた携帯を見ると、珍しく電話もメールも入っていなかった。
「綾女か・・」
いつしか綾女が俺に言ったことがある。
「蘭丸が安土山に行く時は、会社のことは忘れてね」
月命日に行っていることを誰にも言っていなかったのだが、綾女は察しがついていたのか、左近から聞いたのだ。必ずその日は勤務しており、采配している。
定時を過ぎたことを確認して、俺は綾女に電話を入れた。
「はい。蘭丸?お疲れ様」
「今どこだ?」
「もう会社を出たけど・・。みんな定時であがったわよ。明日お休みだし」
「そうか。いつもすまないな」
綾女がくすっと笑った。
「何のこと?蘭丸じゃなきゃできない仕事はちゃんと取っておきました。休み明けびっくりしないでね」
そう言うが、いつもきちんと整理されている。
「ありがとうな・・」
「そんないいのに・・・。こちらこそありがとう、今日も行ってくれて」
「じゃぁな」
「はい、お疲れ様でした」
綾女の声を聞いて、俺は元気が出た。
今夜はぐっすり眠れそうだ。おばちゃんに付き合って疲れたしな。
今日出会ったさまざまな人に感謝しながら、俺は眠りについた。
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