・・もし左近の言うことが本当であるなら、私は本名を教えるほどにこの男を知り、心を許していたはずだ。その覚えがないということは、私は記憶をなくしたのか・・
ふと左近を見る。左近も綾女を見ていた。左近の服装は血まみれでボロボロだ。
「おぬし、その格好では怪しまれるな。服を調達してこよう」
左近は言われて改めて自分の姿を見下ろした。確かに恐ろしげな姿だ。
「済まぬな」
「いや・・」
綾女はふっと微笑んで、洞窟を出て行った。
洞窟の中は静かだ。
左近は座り、傍らの太刀を見た。
確かに自分は死んだのだ、と思う。泣き顔で見下ろす綾女の背後に満月が浮かび上がっていたことを覚えている。綾女を守るために命を引き換えにした。愛していた。どのような経緯で今自分がここに生きているのかはわからないが、綾女が何かと引き換えに自分を呼び止めたのかもしれない。
「記憶・・か」
でも、今こうして二人生きて言葉も交わせる。これからともに生きていけばいいと左近は思い直した。
「左近、これに着替えろ」
「済まぬな」
綾女が持ってきた服に左近は着替え始めた。
「私は、外にいる」
「見ないのか?」
「ば、馬鹿を言うな!」
綾女は顔を真っ赤にして外に出てしまった。
左近はくくっと笑った。
綾女は外で座り込んでしまった。胸の動悸が治まらない。それは苦しいものではなく、甘やかな動悸。頬を染め、手をその頬に当てる。
・・私は覚えていなくても、体が左近を覚えている?・・
「そんなことがあるだろうか」
小さく呟いていた。
- あの時代
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