すっかり梅雨空になった安土。
和装の喪服を着た女性が一つずつ石段を登っていく。
雨ということもあり、傘をさし、足元が滑りやすいが、女性はしっかりとした足取りで登っていく。
墓所にも立ち寄らないため、案内所で受付をした左近はそっとあとをつけた。
当然だが、山中は火気厳禁である。
天主の下で、女性はしゃがみ、じっと手を合わせている。
仏花も、線香もない。
その横顔はかつて愛した人に似ていた。
視線を感じたのか、女性が左近に顔を向け、立ち上がる。
「あなたは、どうしてここで手を合わせているのですか」
左近の質問に、女性は少し悲しげに微笑んだ。
「ここで、昔悲しい別れをした人がいたような気がして、ずっと気になっていました。だから手を合わせに来たのです」
若いが、和服が似合っており、しぐさも慣れている。そして容貌は左近がはるか昔に愛した人によく似ている。
「そうですか」
左近は女性から目を離せずにいた。女性は少し視線をそらし、傘を持ち直すと左近に会釈をして山を下りて行った。
左近はその場所に立ちつくしていた。あの顔、しぐさ、声。
「綾女」
声に出すと急に現実味を帯びて耳に響く。よみがえる愛情。左近は歩きなれた山道を一気に下った。一方通行の道を逆走し、大手門に直行する。
「喪服の、女性、通らなかった?」
案内所のおばちゃんに聞く。
「通ったよ。すごくきれいな人だったから見とれちゃった。若いのにねぇ」
「どっち行った?」
「駐車場。あ、ほら、あそこにいるよ。どうしたの左近さん、そんなに慌てて…」
おばちゃんの声を後ろに聞きながら左近は駐車場に行った。
雨で車が数台しかないため、すぐに分かった。
「あ・・」
声をかけようとすると、女性が近付いた車の運転席から男性が傘をさして出てきた。
「お参り、終わった?」
「ええ」
かすかに聞こえる会話。女性が乗り込んだ車はゆっくり動きだし、左近の視界から消えていった。
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