「降ってきちゃった」
朝から曇天だったが、とうとうこらえきれず雨粒が落ちてきていた。
京都でのお茶会にお呼ばれした帰り。綾女は髪を結いあげ、着物を着ていた。
着物に雨は大敵。
空を見上げてため息をつく。
にぎわう京都駅の端に、琵琶湖線のホームがある。
安土は快速が停まらないので、1本逃すと30分ホームで待つ。
タイミングの悪さは続くもので、今しがた電車は出て行ったばかりだった。
綾女はホームに見慣れた姿を見つけた。
「あら、左近」
外で会うのは久しぶりだった。
一緒に暮らしていると、なかなか外で会う機会はない。出かけるにしても一緒に行動することが多い。
「今帰りか」
左近は読んでいた本を閉じて、綾女を振り返る。伊達眼鏡をかけているが、その白皙ぶりは人目を引く。
「そうなの。左近は、取材だったの?」
「ああ、ちょっとな。それにしても、外で会うなんて奇遇だな」
「そうね」
自然と寄り添い、手を握り合う。
「着物なんて珍しい。自分で着つけたのか」
「そうよ。コツをつかむまでが大変だったけれど、今ではひとりで着られるようになったわ」
左近が綾女の耳元で囁く。
「まぁ、俺が見るのは素のままの綾女が多いからな」
「そうねぇ、着物なんて着つけないし、普段着が多いから、新鮮でしょ」
左近の言う意味が伝わらず、綾女はにっこりと微笑んだ。
こいつは全く鈍い。
左近は苦笑した。
電車に乗り込むと、景色はどんどん広くなっていく。雨で靄って風情がある。
ふたり並んで座ると、また手を握り合う。
「もう、左近たら」
照れた綾女がそっと抗議の言葉を向けた。
「なら、上にハンカチでもかけるか?」
「なおさら変でしょ」
綾女は窓に目を向けた。うなじから少しほつれた遅れ毛が見えている。左近はうなじをじっと見つめていた。
ふたりきりならそのうなじに熱い唇を押しつけている。
だが今は公共の場だ。
「ねぇ」
綾女が振り返る。左近は悶々とした思いをそっとしまった。
「タクシーで帰らない?」
安土駅に着き、ふたりが改札を出ると雨足は変わっていなかった。
以前は近江バスが出ていたが、今はない。
いつもなら歩いて帰宅していた。
タクシーに乗ってしばらくすると、雨が上がってきた。雲の切れ間から夕陽が差し込む。
自宅近くでタクシーを降り、また並んで手をつないで歩きだす。
「雨、やんでよかったね」
「ああ」
「左近と外で会えて嬉しかった。でね、すっごく格好いいなって思ったの」
「綾女もきれいだ。男どもみんな見ていたぞ」
「だから手をつないできたの?やぁだ、やきもち妬いたのね」
図星だった左近は一瞬言葉に詰まったが、魅惑的な微笑みを綾女に向けた。
「だから、なおさら俺のものにしたくなった」
自宅に着く。綾女の足が止まる。
「何だよ、家に入れ」
「だって、入ったら…襲う気でしょ」
「襲うなんて人聞きが悪いな」
左近は軽々と綾女を抱き上げ、家の中に入る。
熱い息の下、左近が綾女に聞いた。
「素のままの綾女ってわかったか」
「十分すぎるくらい…わかったわ…」
綾女はまたひとつ、体で言葉を教わるのだった。
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